第85回:アフガニスタンより避難されている方々の状況

会議レポート

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●日時:2022年6月14日(火)16時00分~17時00分
●場所:WEB 会議(Zoom)
●参加団体:28 団体(運営 10 団体含む)
●参加人数:37 名(運営スタッフ 14 名含む)

1.話題提供

■テーマ『アフガニスタンより避難されている方々の状況』
(神田すみれ氏:多文化ソーシャルワーカー)

・本日は、まず私から愛知に避難をしているアフガニスタンの方の話をさせていただく。その後、関東で松浦さんが支援されている方から伺っている状況についても話をしていただく。
・アフガニスタンの人が日本に避難してきていることがあまり広く知られていない。それは、外務省か ら身元引受団体や組織に、避難してきていることを公開しないようにという話があるからだ。そのため、今日は組織や団体等から聞いたこと話せないが、私や松浦さんが個人的に直接アフガニスタンの方から聞いたことで、「たくさんの日本人に知って欲しい」と話されたことを共有したい。

〇アフガニスタンより避難された方々への支援の経緯
・2021 年 8 月 15 日、タリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧した。当時はメディアでも現地状況の報道がされた。私が個人的に呼びかけを受けたのが 8 月 19 日で、アフガニスタンの友人や知り合いがいる人から「現地から SOS の声が届いているが、どうしよう」という連絡があった。その後、皆でやり取りをし、どうしたらアフガニスタンから脱出する支援ができるか話しをしたが、一般市民としてできることが当時はなく、個人としては動くことができなかった。
・その後、500 人近い人が日本に避難したようだということを人づてに聞き、愛知にも来ていると聞い た。また、10 月末に所属している NPO で難民学習会を開催することになり、8 月 19 日に呼びかけを してくれた大学教員に話をしていただいた。2~3 月頃には、個々の方から「他には相談していること は言わないで欲しい」と、就労や在留資格の相談がいくつかあった。
・そんな中、ロシアのウクライナ侵攻によって、ウクライナ避難民が日本に来はじめた。そこから社会 の難民への関心が高まっていった。名古屋大学は、以前は公開できないと言っていたが、4 月 1 日に ホームページでアフガニスタン修了生の家族の受け入れをしてきていたということを公開した。

※名古屋大学ホームページ:アフガニスタン修了生への退避支援
https://www.nagoya-u.ac.jp/info/20220401_kifu.html
https://www.nagoya-u.ac.jp/info/upload_images/20220401_kifugaiyou.pdf

・4~6 月には、コーヒーブレイクと称してアフガニスタンの人たちと話をする場を作り、関心のある人 と話しを聞くことをしていた。4 月に名古屋大学が情報公開したことで、アフガニスタンの人も自由 に外出したり話ができるようになったであろうと思ったこと、また難民に対する社会の関心も高まったところで、多くの人に知ってもらいたいという想いで企画した。しかしイベントのかたちでの開催 にはストップがかかった。そのため、アフガニスタンの方々と一緒にちょっとコーヒーを飲みながら 話すというかたちで行っている。今回は、その場でお聞きした、皆さんにも知って欲しいとアフガニ スタンの方々が話されたことを後ほどお話しさせていただく。

〇アフガニスタンの方への対応
出入国管理局ホームページにアフガニスタンの方への対応について掲載されている。そこには「就労可能な特定活動(1年)の 在留資格への変更許可申請を受け付けることとした」とあり、ウクライナの方々と同じように見える が、この件については、後ほど松浦さんからお話しいただく。
・アフガニスタンから日本に 700 人以上が避難してきている。そのうちの約 170 人が現地の日本大使館 スタッフ、約 200 人が現地 JICA 職員として働いていた人である。その他、日本への元留学生や留学 生として日本に逃げてきて勉強や研究をしているという人たちも来ている。日本大使館スタッフや JICA 職員の中には、既に自主的に帰国した人も 25 人いることが公開されており、愛知に避難してき た人も何人かは帰国したと聞いている。在留資格としては、日本大使館スタッフや JICA 職員は特定 活動であるが、元留学生は教授の在留資格、留学生は留学の在留資格で日本に来ている。
・ウクライナの方々との違いとしては、ウクライナの人は「避難民」、アフガニスタンの人は「退避者」 と呼ばれているが、政府の説明だと大きな意味はないが違う呼び方であるとのこと。

〇アフガニスタンの方から聞いたこと
・4 月以降に何人かで集まってアフガニスタンの方から話を聞く場を作った。カフェでコーヒーを飲みながら、参加者の中にはケーキを焼いてきてくれた人もいて、子どもたちも横で遊びながら皆でおしゃべりをした。この時にどんな話を聞いたかお伝えしたい。
・高校生の娘さんとお母さんが親子で参加してくれて、私や友人が通訳をし、2 人のアフガニスタンの方が出国の決断から話をしてくれた。移民として出国し、難民として生きる決断は、苦渋の決断だっ たとのこと。出国する決断、空港に辿り着くまでの間での決断、人ごみの中を縫って入って飛行機に乗るか乗らないかの決断。実は最初はアメリカに出国できるリストにご本人の名前が載っていたが、 生まれたばかりの赤ちゃんを抱えて群衆の中に入って行ったら、赤ちゃんがどうなってしまうかわか らないと考え、アメリカへの出国は諦めたとのこと。その後、日本へ出国できることになったが、子どもたちと妻は国に残し、ご本人のみ出国する決断をしたと話してくれた。もう一人は政府関係者と いうこともあり、「危ないから早く国から出ないと殺される」と言われ恐怖を感じていたこと、そして 今自分が出国すると二度と家族に会えないと思い、出国前に泣いたと話された。自分の家族が殺され る恐怖は今でもあり、家族や友人の心配を常にしているとのこと。
・殺されるターゲットになる可能性のある人は、男性であれば髭をそっていたり、女性であればヒジャ ブ(女性の髪や身体を覆う布)を被らなかったり、海外経験のある方など、リベラルな生き方をして いた人がターゲットになりやすいとのこと。話してくれた方も日本に留学経験があり、リベラルな生き方をしていたため危険があった。そして、その方の妻は仕事をしていたが、タリバン政権にかわっ てから、女性が男性の付き添いなしでの外出が許されなくなり、危険な中でもタクシーで出勤をして いたところ、途中で止められ、車から引きずり降ろされ、銃で殴られた。そして、「殴るのはやめるか らこのまま家へ帰れ」と言われ、何時間も歩いて帰宅し、その日を境に仕事を辞めざるを得なかった とのこと。教育カリキュラムの内容も多くの変更があり、女性が学校に行けなくなり、多くの学校が 閉鎖された。国の経済状況も悪化している。
・ロシアのウクライナ侵攻の影響があるか聞いたところ、国際社会の関心がウクライナに向いたことに より、アフガニスタン国内では、タリバン政権やイスラム原理主義が更に厳格になり、たくさんの抑 圧が起きるようになったとのこと。学校の閉鎖、音楽や文化など芸術の破壊が起きている。難民への 影響としては、ウクライナ難民が優先されており、アフガニスタン難民が人道支援を受けられない状況が続いているとのこと。ポーランドやトルコとの国境では、ウクライナからの人は入国できるが、 アフガニスタンの人は入国できずに取り残されるということが起こっている。西ヨーロッパに移民申請をしていても、ウクライナ難民が優先的に受け入れられており、支援に優先順位がつけられること が悲しいと話されていた。「ウクライナの難民もアフガニスタンの難民も、戦争の被害者であること は同じ。ウクライナの人も、アフガニスタンの人も、ミャンマーの人も、みんな同じ支援が必要であ ることを多くの人に忘れて欲しくない。私たちも戦争の被害者です。」と話された。
・お話ししてくれた方は、日本への留学経験もあり、スキルも高く、海外から仕事のオファーもたくさ んあったとのこと。それでも自国の発展を願い、アフガニスタンで生きることをずっとこれまで選択してきていた。しかし、今回は自分と家族の命を守るため、出国をせざるを得なかった。別の方は、 小学生の娘のために出国を決断したと話された。娘が爆撃音の中で生活をすることのないように、教 育を受けられるようにとのこと。本当はアフガニスタンの発展のため、そこで生きることを選択して いたが、娘が平和な社会で生きられるようにという思いから日本へ来られている。この日は高校生 2 人も話を聞きに来てくれており、高校生に向けてその話をされた。年齢は 30 代半ばの方で、自分が戦争の中で生まれ育って生きてきており、平和な社会を知らない。日本への留学時に沖縄や広島に行く 機会があり、日本が経験した戦争を知って、現場を見た時には涙が止まらなかったとのこと。そして、 平和な社会で教育を受けられることは、本当に素晴らしいことであると話された。その方は、会が終 了した後に「こうやってアフガニスタンで起こっていること、自分たちのことを聞いてくれて、一人 ではないと分かった。ありがとうございます」と連絡をくれた。今は月に 1 回、こういった機会を設 けているので、関心がある方は参加いただけると嬉しい。

〇物資支援を通じてのつながりづくり
・各組織の職員や大学教員などが、個人的に小学校まで出向いて通訳をしたり、身元引受人になって生活支援をされたりしている。私もそういったお手伝いをしている。
・アフガニスタンの人たちの家族がこの 1~2 ヶ月でたくさん到着されてきており、小学校に通う準備や家族が住める住居に移ったりしている。新たに家具家電が必要ということで呼びかけをしたところ、 周囲の友人から譲れるモノの連絡をいただいた。その物資を友人に持っていってもらうことで直接日 本の社会で暮らす人と知り合ってつながりができるといいなと思い、アフガニスタンのご家族に連絡をし、直接渡せるようにアレンジもした。オーブンを譲ってくれた人は、イギリス留学時にアフガニ スタンの人に助けられたとのことで、その恩返しができるならと訪問してくださり、そこで話も盛り 上がった。アフガニスタンの方々は、これから仕事をどうするかという課題もある。来日間もない妻 は、日本語はできないが英語ができるということで、オーブンをくれた方の娘さんに週一回英語を教 えてくれることになった。他にも、物資を直接運んで手渡ししていただくことで、話がはずんだとい うことを聞いている。

〇6 月 7 日外交防衛委員会(動画) ・アフガニスタンに関する質問部分の紹介(28:56~31:44)

■関東に避難してきているアフガニスタンの人について(松浦氏)
・大学時代のアフガニスタンの友人に、無事かどうかの連絡をしたところからスタートしている。大学時代につながりのある人がいて、その方の妻や家族と一緒にピクニックやパーティをするなど、一緒に遊ばせてもらっていた。アフガニスタンの友人は、他の国に移住している人が多い。昨年 8 月に連絡をし、連絡がとれた人が数名で、その時にまだカブールにいたうちの一人が 12 月に家族で東京に 避難をし、「避難ができて救われた」という連絡があった。日本が移住先として受け入れられないとし ても、2021 年 8 月の G7 首脳声明で、再定住のために安全かつ合法的なルートに関する調整されたア プローチについて難民を受け入れる国と協力をすること、アフガニスタン国外への安全な通過の継続 を確保することを優先事項として言われていたこともあり、そういった支援につながることを願って 様子を伺っていた。
・アフガニスタンの現地の状況としては、ニュースにもなっている女性の教育の場が奪われていること について、小学生までは通っているが中学生以降は禁止されている。女の先生で十分教えられる先生 もいるが失業してしまっており、みんな学びたいのに駄目になってしまっていることを非常に残念に 思っている。男の子は学校に行けるが、ポリシーがかわり、宗教科目に重きがおかれた教育となり、 子どもの目がどんどん変わってきていて不安な気持ちでいると伝えてくれた。
・JICA で避難して来た人と大使館で避難して来た人でも待遇が異なる。JICA は住宅補助があり、住居 の自由や家具の補助もつく。一方、大使館の人は自由に動くことができず、日が入らない部屋になっ てしまった人は本当に辛そうにしているとのこと。食事はコロナ禍ということもあったかもしれない が、冷たいお弁当が配られており、和食に慣れない人たちに対して決められたご飯がでている状況。 せめて馴染みのある食事を自分たちで作ることができればとずっと話されている。
・コロナ禍で緊急事態宣言となった 2 月から 1 ヶ月以上は、アフガニスタンの友人は自分たちのいるフ ロアから出られなくなった。門限は 8 時から 9 時、10 時と少しずつ和らいでいるが、外出できないこ とは子どもたちにとって大きなストレスであったし、家族の人数も日本とは異なり 10 人以上いる家 族もあるため、非常に大変であったと思う。
・JICA 関係者は 2021 年 9 月から入国してきており、大使館関係者は 10 月から第 1 弾が入国してきた。 在留資格については事実確認が必要であるが、最初は 6 ヶ月でもらっており、切り替えのタイミング で第 1 弾の人たちが 1 年の在留資格がもらえるという話になっていた。しかし後にそれは間違いだっ たと 6 ヶ月に短く訂正された。その後に来た人たちも、せめて 6 ヶ月もらえると思っていたが、8 月 までに合わせるとのことで、6 月に更新になる人は 3 ヶ月しか在留資格がでない。そのため、8 月末 までに今後について、家賃を支払ってこのまま日本に留まるか、帰国するか、第 3 国に行くかという 決断を迫られている状況にある。また、このことを一人ひとり個別に呼び出され、仕事がない人には 家賃をどう支払うのかという話がされている。仕事探しに外出できるようになったのも、ここ最近の ことである。それまでは外出禁止で外部の人とあまり関わらないようにと缶詰め状態。アフガニスタ ンから避難した人たちは、誰にも言うなとも言われていて、とても辛そうにしている。

→神田氏:
国が 700 人以上のアフガニスタンの人を受け入れていることを社会に知られるのはよくない というスタンスなのだろうと思う。愛知に来ている人も 4 月を過ぎてから少しずつ外との接触ができるようになってきたため、直接話を聞いたりしているが、それまでは外出や接触は推奨されていない 雰囲気があった。組織の人たちも、いることを言ってはいけないということになっていた。

2.ブレイクアウトルームでのディスカッションを終えての質問・感想など

〇浦野(RSY):
名古屋工業大学の秀島先生の研究室では、アフガニスタンの留学生を受け入れられているため、詳細を秀島先生から話していただきたい。また、神田さんからは、ウクライナ避難民への生 活物品支援や日本語教育支援ともうまく融合させながら、ウクライナの人もアフガニスタンの人も、 両方が支援を受けられる仕組みにできるといいという意見をいただいた。

→秀島氏(名古屋工業大学):
男女一人ずつの 2 人いるが、違いが大きい。女性の方は、8 年前に修士で JICA の枠で来日し、一旦帰国し政府機関に入ったが、政府に勤めているためタリバンに追われて国外 にでるしかなかった。しかし、女性一人で国外にはなかなかでられず、数ヶ月かかって 4 月にやっと 博士課程に入ることができた。女性は非常に大変。もう一人は、6 年前に国費留学として博士課程で 来ていた男性。彼の実家がイランにあることも幸いし、日本語もペラペラで現在は日本企業に勤めて 活躍している。大学で受け入れようとしてもコロナ禍もあり、昨年 9 月に動き始めたにも関わらず、 結局 4 月になってしまった。留学生として来てもらうことがいいか、こちらでもお金をだして研究員 として来てもらう方がいいか悩ましかった。留学生として学生ビザで来た方が、日本でいろいろな仕 事ができる。研究員として来てもらうと、矛盾も感じるが他の仕事をしてはいけなくなる。試行錯誤 しつつ、詳しい知人にも相談しながら孤軍奮闘で進めてきた。

〇織田氏(名古屋市市民活動推進センター):
アフガニスタン退避者とウクライナ避難民、一般的な難民 について、法的な位置づけの違いを教えて欲しい。

→羽田野氏(名古屋難民支援室):
ウクライナの方で難民申請をしている人は 3 名。ウクライナの方は、 難民申請する前に避難民としての措置が政府として打ち出されており、入国して変更申請をすれば特 定活動としての在留資格 1 年が得られ、就労も制限なく許可されている。難民申請者の方々は複雑。 申請段階で、例えばウクライナの方はパスポートがなくても受け入れされて、その後に特定活動をも らっている。しかし、難民申請者でパスポートがないなど入国が非正規になった場合、申請手続き中 はずっとオーバーステイで基本的に収容となるため、大きな差がある。難民申請する段階で正規の在 留資格を持っていた人でも、2018 年 1 月以降、運用がより厳しくなった。以前は最初の 6 ヶ月は就労 不可でも、その後も手続きが続く場合は就労許可がでていた。しかし今は、A・B・C・D 案件というよ うに、難民の可能性が高いか低いかを結果がでる前に入国管理局が振り分け、ほとんどの方の在留資 格がそれ以前より厳しくなった。留学で入国したものの続けられなくなって難民申請したような方で も、在留資格はもらえても就労が付与されなかったりするなど、より複雑化し、困窮者も増えている という状況。

→神田氏:
アフガニスタンの人の中には、難民申請をした方がいいかと迷って入国管理局に行ったとこ ろ、難民申請はしない方がいいとアドバイスを受け、それがなぜかと疑問を持っている人もいる。

〇萩原氏(MY パワー):
今回のウクライナの支援は、名古屋市も NIC も一緒にやれている非常に特殊な事例。そして、ウクライナ以外にもいっぱいいるということを認識するいいきかっかけでもあった。 ここからアフガニスタンの方々にも染み出せる、できる支援は必ずある。ウクライナだけを見ていて はいけない。ロシアで政府に対しで反旗を翻している人たちも忘れてはならないとも思った。

〇土井氏(多文化リソースセンター):
ウクライナとアフガニスタン、ミャンマーの違いについて、NHK が違いをまとめている(リンク)。また、 アフガン避難民の映画「FREE」が上映中で、こういうことで関心が集まるとも思う(リンク)。どこかから避難し て来たかはあまり関係ない。NPO おたがいさま会議では、DV 避難をテーマにした回もあった。様々な 事情によってやむを得ず移って来られ、新しい生活をしていくために、情報や住居、家具家電、仕事 探しなどの支援が必要な方がいる。行政としては区分けが必要であるが、民間ネットワークであるか らこそ、集めたモノや情報、仕事などを様々な人とシェアしていくことが非常に大事。発信力の違いはメディアや民間の関心事によって変わってくるが、NPO おたがいさま会議ではそこを気にせずやっ ていかないといけないと感じる。

〇浜田(RSY):
今回のアフガニスタンの方の話について、報道が全くないため知らなかった。メディア は知っていて報道していないのかどうか教えて欲しい。

→川村氏(名古屋テレビ):
この分野に特化していないため詳細までは不勉強であるが、情報を探せと言 われても地元でなかなか探せない部分もあった。コロナ報道に人が割かれていて、こちらに手が回ら ないということもあった。しかし、ウクライナが始まり、やらざるを得ない状況になった。ウクライナの他にも避難民がいるということに辿り着いていかないといけないという気持ちがある。

→神田氏:
現地の報道がされないのも大きな問題であるが、実は秋頃に NHK が報道したことで「隠さな ければいけないのに」と、大学や JICA など関係者間で大問題にもなった。4 月に避難者の取材があっ たが、音声を変えて顔もぼやかし、発言もかなり厳密に精査されて少し報道されたという状況。隠す 理由としては、現地にいる家族や本人の身に危険が及ぶ可能性と、他にも理由があると思われる。

〇瀧川氏(市民がつくる災害に強いまちづくりの集い):
ウィシュマさんが名古屋入管で亡くなったこ とについて、家族が裁判をしている。その支援者から話しを伺いたい。

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