第78回:東日本大震災から11年 伝えたい!広域避難者の今
●日時:2022年3月8日(火)16時00分~17時00分
●場所:WEB 会議(Zoom)
●参加団体:27 団体(運営 7 団体含む)
●参加人数:36 名(運営スタッフ 12 名含む)
1.情報提供
〇鈴木氏(デンソー): 現在デンソーにおいて「ウェブハートフルまつり」という社会貢献イベントを 開催しており、その中でおたがいさま会議の取り組みを動画で紹介している。デンソーのホームページ にアップしているのでご視聴いただければありがたい。また三河地域の団体が中心ではあるが、その他の団体の活動報告もしているのでそちらもご視聴いただきたい。
〇浦野氏(RSY):3 月 11 日にRSYが 10 年間支援拠点を置いて支援活動をさせていただいた宮城県の七ヶ浜町とのオンライン交流会を開催する。レスキューストックヤードから浦野と横田が現地入りして、現地で様々な活動をしている若い世代の方や地域活動を頑張っている住民の方々の生の声をオンラ インで繋いでお伝えするという企画。現在 42 名の方が参加申し込み。まだ参加可能なので、ぜひご参加いただきたい。
・七ヶ浜・RSY オンライン交流会~震災の記憶を次の世代に引き継ぐために~
日時:3 月 11 日(金)16:00~18:00
〇浜田氏(RSY):東北になかなか行けない、けれども思いは募るという方たちと共に、3 月 11 日の 2 時 46 分に黙祷する東日本大震災犠牲者追悼式あいち・なごや 2022を実施する。今年は鶴舞公園普選 記念壇で行うのでご参加いただきたい。
愛知県が情報共有会議を愛知県全体で始める。団体登録をしていただき情報共有会議への参加表明をお 願いしたい。実際に会議があるのは 3 月 16 日だが、申込みの締め切りが 3 月 11 日であり、まだの方は ぜひお申込みをお願いしたい。
詳細:https://www.pref.aichi.jp/soshiki/bosai/johokyoyukaigi2021.html
〇近藤氏(アジア車いす交流センターWAFCA):WAFCAの駐車場とホールを使って「SDGs マル シェ」を開催する。SDGs を学んで遊べるという趣旨で、障害者の方が働いている B 型作業所の出店や車 椅子ツアー、スタディクイズラリー、フードドライブなどを企画している。お子さん向けの企画もたく さんあるのでよかったら遊びに来てほしい。https://wafca.jp/participation/kariya.sdgs.pdf
2.話題提供
■テーマ
『東日本大震災から11年 伝えたい!広域避難者の今』
(森本佳奈氏、今井田正一氏:愛知県被 災者支援センター)
〇愛知の広域避難者の現状(森本氏)
・先週は東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)の福島担当の北村さんから、福島の現状をお話いただいた。今日は東日本大震災からまもなく 11 年、広域避難者の今ということで、東日本大震災によって愛知県に避難されてきた方々の現状についてお伝えしたい。
・まず、愛知に何人の避難者がいらっしゃるかというところからお話ししたい。現在でも 322 世帯 813人の方が避難登録している。ピーク時には 1250 人ぐらいの方が避難登録されていた。一番多いのが 原発事故の影響が大きかった福島から避難されてきた方で 183 世帯 503 名の方。そのほか津波被害が 大きかった岩手・宮城からの方や、放射能の影響で関東地域から、特に小さいお子さんを抱えたご家 族の避難も多い。現在、おおよそ 40%が 20 代以下の子ども・若者世代である一方で、震災からもう 11 年となり、岩手宮城からの避難者の方にはご高齢の方も多くなってきたという印象。
〇避難者の状況は同じではない
・避難者の状況は同じではなくそれぞれ違う。津波の被害を受けて岩手・宮城から親戚を頼って来られたご夫婦であったり、原発事故によって国により立ち入りが制限されている避難指示区域から避難し てこられた強制避難者と呼ばれる方々であったり、また同じように原発事故からの避難者でも、避難区域から外れてしまった方は、本当に近いところにいても国からの賠償がほとんどもらえないといっ た違いもあったり、さらには、放射能の影響は福島にとどまらないので、宮城や関東から子どもの健 康が心配ということで避難されてこられた若い家庭もあったりで、避難者と言っても、本当にそれぞれ状況が異なっている。
・福島県の富岡町は、元々は避難指示区域だったが 2017 年に一部の地域が解除された。しかし解除さ れたからといってすぐに帰れるかというと、6 年住んでいなかった自宅はすごく傷んでいて、すぐ近 くには放射線量の高い地域がありバリケードが張られている状態で、本当にここに帰って大丈夫なの かという心配が大きかった。11 年が経った今では、生活の基盤もこちらにでき、帰りたいけれども帰 るのが難しくなっているし、この間、もともと住んでいた街ではなくなってしまっているのではない か、ということでなかなか帰れないという方もいる。
・避難者がどういう理由で愛知を選んだかというと、まずは親類縁者や知人友人がいるからというもの、 あとは放射能の影響が少ないところに行きたい中で最も東側の県を選んだら愛知だったというもの、 そのほか居住経験が過去にあったり、逃げたときに行政の住宅支援があったからという理由で愛知を 選んだ方もいる。また、これから生活していくときには仕事も大切なので、比較的仕事を見つけやす いのではという理由もあった。
〇避難者の課題
・避難者の課題としては、まずは住宅。いつまで避難が続くかわからない中、着の身着のままで避難してきた方もいた。いったん住宅支援を受け入れても、その支援が終わる時期によってまた住まいをど うするんだと悩まねばならず、お子さんの通っている学校を変えたくないとか、いろんな課題がそれ ぞれのタイミングで出てくる。
・仕事面では、元々のお仕事を辞めてこられた方はキャリアダウンになってしまうし、当初の頃は避難 者という立場で、またすぐに辞めてしまうのでは、ということから非正規雇用という方も多かった。
・健康面については、放射能の影響だったり、地震とか津波で怖い思いをされているので PTSD の症状がある方もいたりする。
・そのほか、お子さんの不登校とかいじめの問題だったり、賠償の問題だったり、元々暮らしていた地域のコミュニティや人間関係から離れて避難してくるので、地域の繋がりがない、孤立・孤独の状態になるなど、さまざまな課題がある。
・また、大きな課題として母子避難がある。お父さんはどうしても仕事がやめられない、生活していくには仕事を辞めて避難するのは難しいという理由から、お父さんだけ避難元にとどまり、、お母さん とお子さんだけ避難するのが母子避難であるが、震災後当初はかなり多かった。小さいお子さんを抱 えての世帯が多く、避難指示区域外からの避難者や関東地域からの自主避難者が多くを占めていた。
・そういった母子避難の方々は、お父さんの世帯と母子世帯の二重生活になるので、負担が増え経済的 に厳しい状況や、いつまでこの生活が続くのかという不安、子どもから見るとお父さんと一緒に暮ら せないという精神的ストレスなどを抱えてしまう。避難先での生活がうまくいかない中で、お父さん とお母さんの間で放射能への心配や避難生活というものに対して意見が食い違ってくると、それが家 庭の不和に繋がり結果的に離婚してしまう家庭も多かった。
〇愛知県被災者支援センターについて
・愛知県被災者支援センターは、愛知県が 2011 年 6 月に設置し、運営を NPO に委託している。当初は4NPO で運営していたが、現在はレスキューストックヤード 1 団体で運営しており、国の復興庁の交付金を活用している。こうしたセンターは全国的にも珍しく、官民協働でこのような支援をしているの は他県からかなり注目されている。
・当初は着の身着のままで避難されてきた方々に対する生活物資の支給だとか、お米の全戸配布なども 行っていて、そこで信頼関係を築いたり、安否確認を行ったりしていた。
・現在の活動としては、広報誌「あおぞら」の発行、支援情報を定期便で送付、交流会や相談会の実施、 個別訪問や電話での状況把握・相談対応などを行っている。さらに、この約 10 年間の活動の中でかな り心配な世帯が見えてきているので、そうした特に支援が必要な方(要支援者)に対して、行政や社 協、支援団体と一緒に相談しながら、支援体制を整えて個別支援に力を入れているところである。ま た、避難者の抱える課題は本当に多岐にわたるので、スタッフで対応できない専門的な相談について は、弁護士や司法書士、臨床心理士などの専門家や団体と連携して、支援を行っている。
〇全戸個別訪問の実施
・交流会を重ねていくうちに、集まってくる人がだいたい決まってきて、来ない人たちはどうしているのかという課題感が 2013~2014 年ぐらいに持ち上がった。避難者の状況を把握しようというとこで 2014 年に全戸個別訪問を実施した。それまでは単身男性や高齢世帯などが注目されがちであったが、 この個別訪問によってすべての世帯の状況を把握でき、例えばある世帯の奥さんが、地元の友達や家 族を置いて逃げてきたっていう負い目をずっと抱えていて、今まで誰にもそれを言えなかったという 声を聞くことができたりして、それまで把握できていなかった課題に気づくことができた。
・この方のように避難者であること隠している人も結構いて、そもそも避難者の登録制度を知らない方 もいたので、実は避難者だけれども支援者側からは見えていないという方がかなりいるのではないか と感じている。
・この全戸個別訪問によって、外国にルーツをもつ方だったことがわかったこともあった。支援情報を 定期便でお届けしていたが、中身が読めていなくて情報がきちんと届いていなかったことがわかった こともあった。
〇さまざまな課題に対する対応や取り組み
・センターで個別支援計画をつくって、地域の方々と一緒に支援を考え、支えていく必要がある世帯を 要支援世帯と位置付けている。現在 16 世帯あるが、高齢独居、外国人、障害を抱えている、健康問題 がある、生活困窮、不登校、こうした問題を複合的に抱えてて、行政や社協、支援団体と連携して支 援をしていかないといけない世帯である。その他、生活保護や高齢世帯、母子父子避難、外国人世帯 など少し心配な面を抱える世帯を、積極的見守り世帯として位置づけている。
・おたがいさま会議に毎回参加しているが、例えば外国人に関することでは、ダブルリミテッドという 言葉を初めてこのおたがいさま会議で聞いて、まさにその状況に当てはまる避難者がいた。こちらと しては避難者に対する支援についてはある程度わかるが、外国人の方に特有の課題に対する支援はわ からないことがたくさんある。さまざまな課題に専門的に支援をしている方のお話が聞けるおたがい さま会議で、いろいろと学ばせていただいているのがありがたいと思っているとともに、これからも 一緒に活動して行けたらいいなと思っている。
・もしかすると、これまでおたがいさま会議に出ていただいた団体が支援した方の中に避難者がいるか もしれない。その場合は、避難による実費損害を請求できる原発 ADR というものを知らない人も中に はいるのではないか。もし今日の参加団体の中に、実は避難者だった方が支援者の中にいるのがわかったら、センターに繋いでいただけたらと思う。
・避難者の課題で、健康問題は多くの部分を占める。放射能が健康にどれだけ影響するのかがまだわか らない中、すごく不安を抱えていることから、愛知民医連さんと共催で、甲状腺エコー検診&交流相 談会という活動を実施している。今はコロナ禍で一堂に会するのが病院では難しい面もあり、今年度は大きくは開催できていないが、まだまだニーズのある活動なのでこれからも続けていきたい。
〇アンケートから見る県外避難者のいま
・震災から 10 年が経過した避難者の現状を把握したいという趣旨でアンケートを実施した。1 年前(2020年度)の調査ではあるが、今も状況はそれほど変わらないと思うので紹介させていただきたい。
・避難者の現状として多くの人は概ね落ち着いた暮らしをしている。
・一方で今後の生活場所、定住するのか帰還するのかについて、今も決めかねているという方が回答者の 25%もいて、全体の 4 分の 1 が今もどこで生活をしていくのがいいのか悩んでいるというのが実態。
・また、心身の健康や経済的に深刻な課題を抱えているのが 1~2 割程度いて、特に先ほどお伝えした 定住か帰還か悩んでいて決まっていない方の状況はかなり深刻で、経済的にも心身の健康の面でも厳しいものがある。
・それから、生活面で困り事がある人が 4 割程度いる。避難前に住んでいた地域よりも、現在住んでいる地域の情報が欲しいというニーズが多い。しかしながら、市町村や社協に相談の支援策を利用した方は 1 割程度と少なく、避難者を地域に繋いでいくということを丁寧にしていく必要があると感じている。
・定住か帰還かを決めかねている方の声を紹介したい。「この 10 年愛知にいたけれども生活が落ち着かず経済的にも厳しい」「子どものために愛知県にいるんだけれども、実家がある避難元に将来は帰りたい」「夫は愛知に来ることはない。本人も夫の元に戻るのは不安があり難しい」など、それぞれの状況がある。
・健康面に関する声については「震災について思い出すのはもう避けたい」「放射能の影響に関しては一 生気になる」「自分が避難を決めたので、夫の将来設計が変わってしまって申し訳ない気持ちをずっ と抱えている」「避難後から体調を崩して入退院をよく繰り返している」といったものが挙がっている。
・生活面の困り事については「言葉の違いもあって仕事や人間関係に悩み、うつ病や体調に波があって仕事に行くのがつらい」「愛知の高校や大学の特徴がわからない」「愛知に両親を呼んで一緒に暮らす予定だが、避難元にあるお墓や家のことがスムーズに進まない」「転職を予定しているが見通しがたたず、親御さんをどのように面倒を見ていったらいいか不安でならない」「放射能性のことで家族の意思疎通がうまくいかず別居している」といった声がある。
〇子どもたちへの影響、子どもたちの声(アンケート調査・ヒアリングより)
・子どもたちへの影響について、避難を決めるときに毎日のようにお父さんお母さんが喧嘩をしていたという家庭があり、お子さんが津波とか地震の映像を見るとパニックを起こすようになってしまった。 その家庭は津波被害にあったわけでもなく、初めはなぜパニックになるのかわからなかったが、地震があったときにそれまで仲の良かったお父さんお母さんが喧嘩するようになったことが、怖いという気持ちを引き起こしてそれに怯えていたことが後にわかったというケースがあった。
・子どもたちの中には、友だちに別れも言えずに避難することになってしまった子や、避難によって家 族が本当にバラバラになってしまった子、避難先が変わるたびに学校が変わる子などがいて、さまざまな不安から大きなストレスを抱えていたのではないかと思う。
・避難前は、周りの子がみんな同じ震災を受けてわかり合えていたのに、避難後になると、愛知の子たちに東日本大震災のことを理解してもらうのは難しく、震災のことを何も話さなくなったという子もたくさんいる。
・10 年が経過して当時小学校一年生だった子は今高校生、小学校高学年だった子はもう大学生になって いて、成長した今だからこそ話せることがあるのではないか、お子さんたちにとって震災や避難がどういうものだったのかをきちんと聞いておかないといけないのではないか、ということで、これは愛知県被災者支援センターではなく、レスキューストックヤードの活動として、震災当時のことについて若者たちへのアンケート調査とヒアリングを昨年実施した。その結果をもとに、子どもたちの声を 4コマ漫画などで紹介した冊子やポスターを制作した。レスキューストックヤードのホームページか らダウンロードできるし、必要な方には送料はかかるが無料で配布しているので、ホームページから 申し込んでいただきたい。
「311 県外避難者について考えよう~子ども・若者の声~」冊子のご紹介
・一部ではあるが、子どもたちの声を紹介させていただく。
「小学 6 年生で避難して、最初は母からひと月で帰れると言われていて、その後 1 年で帰れると帰れず延伸びていった。何で帰れないんだという気持ちが強くて、当時は『嘘ついてる』と親に怒っていた。高校生ぐらいで『もう帰れないんだな」』と思ったけど、福島での就職情報も知りたいと思う。」
「放射能で家庭も変わってしまったし、地元は狭い町なので、家庭環境の変化が周りに筒抜け。また、避難した人間への批判も当時はかなりあった。住んでいたときの街は確かに好きだったけれど、放射能もそうだし、人も全て変わってしまって、自分の帰る場所でも帰りたい場所でもなくなった。」
「小学校 2 年の途中から愛知の学校に転校。小学校高学年や中学校の時に、原発事故や放射能のことで『近づくと放射能がうつる』『汚い』とか言われて、福島から来たことは言わなくなった。」
・2 番目の声の子は母子避難のケース。3 番目の子に関しては、その後いい友達に出会って、自分が福島から来たっていうことも話せるようになり、それを受け止めてくれる友達もできて今は前向きに過ごしている。こうした周囲の理解がとても大切なのだが、避難した方がいるということ自体が一般には知られていないので、今回のような伝える機会は本当に大切だと思っている。
・ヒアリングと一緒にアンケート調査も実施した。520 人から回答いただいた中で、6 人の方が東海地域に避難してきてから嬉しかったことはないという回答があった。これは本当に悲しい回答だと思っていて、何かできることはなかったのかと今もずっと気になっているところである。
・レスキューストックヤードとしては、子どもたちの夢を応援する事業として「FOR 子ども支援基金」という支援を行っている。子どもたちから夢をテーマに作文を書いてもらって、願いや夢を叶えるために必要となる物品を贈呈するという活動を行っている。
〇コロナ禍における活動
・愛知県被災者支援センターのコロナ禍における活動としては、なかなか人との接触が難しいところではあるが、状況が悪くなっている方がいないか電話を中心とした世帯状況の把握や、とはいえ心配な方については感染状況と本人の気持ちを踏まえながら個別訪問したりもしている。あとはオンラインを取り入れたヨガ体験だったり、岩手・宮城の交流会は高齢の方が比較的多くオンラインが使えない方が多いので、感染状況がそんなに悪くないときにリアルで開催したりもした。
〇具体的事例の紹介(今井田氏)
・フィリピン人の一人親世帯の事例から。福島県から震災当時 15 歳、10 歳、5 歳という 3 人のお子さんを連れて、すべて女の子だが、別れたご主人である日本人の男性を頼りに愛知県に避難してきた。 このお母さんは多少の日本語が話せる程度であるが、子どもさんはみな日本で生まれ育ったので、日本の学校、保育園に通っていた。子ども同士の会話は日本語だし、お母さんとの会話もほとんどが日本語だった。
・避難後しばらくして、長女、次女とも学校生活に馴染めなくなり不登校になった。その時、日本語の 読み書きができないお母さんは、学校からのお知らせも多分理解できず、また子どもたちの勉強や生活面でのフォローもできなかったと思う。子どもたちが不登校になっても、どうしたらいいのか、どこに相談すればいいのか、わからなかったのではないか。福島から愛知に来て、初めて来た土地ということもあり、元ご主人以外に知り合いもいなくて身近な相談先もなかったのではないかと思う。先ほどの話にもあったように、センターからの定期便も、日本語が不自由だったこともあり、情報源としてどこまで役に立っていたかは疑問である。
・そういった中で、実はその一番上の長女が 16 歳の時に出産をする。しばらくして次女も 16 歳で出産 することになる。2 人ともシングルでの出産だった。母親のパート収入のみでは生活が成り立たなく なってしまい、行政からの支援を受ける形での生活となった。その後長女が 2 人目の子どもを出産し、 18 歳を契機に世帯分離をして、長女も同じように行政から支援を受ける形での生活となった。
・避難当時 5 歳だった三女も、小学校の中、高学年ぐらいから不登校になってしまい、中学はほとんど 行けなかったと聞いている。もしかしたら不登校になったのは、次女の子どもの世話をしたり、遊び 相手になったりしていたことも原因だったかもしれない。
・一昨年、三女は通信制高校になんとか進学しましたが、レポート作成などが難しく、学校について行 くことができなくなって休学してしまった。センターとしてもいろいろ後押しをして、何とか来年度 から、改めて 1 年生として再スタートできる見込みがたった。
・お母さんについても、こちらから声かけをしたりしたことがよかったのか、今は生活保護を受けなが らパートの仕事をしており、昨年末には介護職の基礎研修を終え、次は介護福祉士の試験を受けると いう。何とか生活保護からの脱却を目指そうということで頑張っている。
・次女は生活保護を抜け出して今は居酒屋に勤めながら生活していると聞いている。ただこの 3 人はもう 27 歳、22 歳、17 歳になった。3 人とも学ぶ機会がなかったこともあり、書く文字はほとんどひらがなである。例えば行政から送られてくる書類も、ほとんど理解することができないという大きな課題を抱えている。母親を含め、学習支援の紹介も行ってはいるが、なかなか難しい。特に、成人した子どもたちの気持ちにまではなかなか踏み込むことができないという難しさがある。それでも、粘り 強くこれからも関わっていきたいと思っているところである。
・もうお一方の事例を紹介したい。少し特殊な事例かもしれないが、今 46 歳の男性の方で、1 人で生活している。震災当時はご夫婦と 3 人のお子さん、それから 60 歳を過ぎた両親と一緒に避難してきたのだが、震災の年の夏に、まずは両親が福島に戻りたいということで、福島に戻ってしまった。それにつられるように、お子さんたちも福島でもとの友達と一緒に遊びたい、学校に行きたいということで帰ることになった。結果、今はその方 1 人だけが愛知に残っている。
・その方は、なかなか生活費が厳しいということで、賃貸のアパートを引き払ってしまった。仕事が中長距離のトラックの運転手なんですけれども、トラックで寝泊まりしたり、会社が用意した仮眠所で寝泊まりしたり、といった生活をしている。
・先日少しお話を聞いたが、自分が何で今愛知県にいるんだろうとか、トラックの中でも自分がどこにいるかわからないとか、なんでこんな生活してるんだろうとか、そういうことを思ってしまう。若いときに結婚して子どもを育てる苦労したんだけれども、それは何のためだったんだろうということを思ってしまう、と話していた。話を聞くことぐらいしかできないもどかしさがあるが、こういう方もいるということを知っていただけたらと思う。
3.ブレイクアウトルームでのディスカッションを終えての質問・感想など
〇鈴木氏(デンソー):グループディスカッションの中での森本氏の話を全体で共有したい。800 人の方がまだ今でも愛知県に避難されていて、全体の 4 割の方々が何かしらの課題を持ってらっしゃるっていうことを聞き、改めて 11 年たった今でも大変な苦労をしているということをまずは共有したい。 そのうえで、センターは国の予算による支援、公助での支援ということもあり、それが今後先細りになるのではないかという意見に対して、復興庁の存続がきまり今後 5 年の支援は決まっているという話があった。しかし公助の支援は安定した収入に繋がるものの、そればかりに頼ってはいられないという苦しさがあるという話もあった。官民連携による支援をしている愛知県被災者支援センターの取 り組みは、今後の広域災害、例えば南海トラフ等が起きた場合にも、その支援ノウハウが他の地域で も生かせるのではないかという点について、非常に勉強になったしぜひ皆さんと共有したい。
〇小池氏(よだか総研):今日のメイントピックから少し外れてしまうが、チェルノブイリ救援・中部の 戸村氏からウクライナ救援募金の案内についてお話いただきたい。
→〇戸村氏(チェルノブイリ救援・中部):連日ウクライナの報道をご覧になっていると思うが、私 たちが 31 年間、チェルノブイリ被災者の救援活動を一緒にしてきたカウンターパートの事務所も、 戦火で破壊されてしまった。各地が爆撃されており、この先ウクライナがどうなるのか本当に心配 している。ウクライナの危険地帯からは人々が避難しており、今何百万という数の人々が国外に脱 出している。隣国のポーランドも、60 万 70 万 80 万と連日ウクライナから避難してくる人数が増 えており、このような避難民に対して国際的に救援をしようという動きが出つつあり、日本でも避 難民の受け入れをしようという動きが見えてきた。そのような中で私たちは、カウンターパートの 事務所があるジトーミルという街、これはウクライナの真ん中ぐらいにあるのだが、そこまで医薬
品や緊急の災害救援物資を運ぼうという動きを始めたところである。カウンターパートやその関係 団体と連絡を取り合い、ヨーロッパ経由でドイツ、ポーランド、それからウクライナの西部という ルートで運ぶことを計画している。これがうまくいけば、そのルートを使って第二陣、第三陣とい うように支援を継続して行っていける。とりあえず第 1 回目は寄付をいただき現在進行中だが、引 き続き私たちの団体として基金を募り、今後必要となってくるものを確実に届けたいと思っている。 そのために新たな口座を設けたので、皆様のご協力をお願いしたい。私達のチェルノブイリ救援・ 中部のFacebookページとブログに口座情報を掲載してあるので、それをご覧いただきぜひご協力をお願いしたい。
・ウクライナ救援基金口座番号:
三菱 UFJ 銀行 名古屋営業部 (店番 150) 普通 6949211 特定非営利活動法人チェルノブイリ救援中部
〇野川氏(名古屋市社会福祉協議会):グループの話し合いの中で、親との関係や夫婦との関係、子ども との関係、自分の生まれ育った地元との関係等、誰もが大事にしてる関係を災害で寸断されてしまっ たということのつらさを感じたという意見や、コロナ禍でプラスアルファのつらい思いをされてる方 に私達は何ができるのかという思いを共有した。また名古屋市でも「東日本大震災被災者支援ボラン ティアセンターなごや」を開設しており、名古屋に避難されてる方の支援を愛知県被災者支援センタ ーさんと一緒にさせていただいている中で、その内容についての情報共有などを行った。
4.今後の予定
■開催日時:3 月 22 日(火)16:00-17:00
■テーマ:『子どもの声からつくる未来のかたち~宮城県石巻市の実践から』
■ゲスト:一般社団法人 SmartSupplyVision 清水葉月氏
西城楓音[さいじょうかざね]氏 (日和幼稚園遺族の会、現在 19 歳)
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