第88回:重度障害者が新型コロナウイルス陽性になったら
●日時:2022 年 7 月 26 日(火)16 時 00 分~17 時 00 分
●場所:WEB 会議(Zoom)
●参加団体:19 団体(運営 7 団体含む)
●参加人数:24 名(運営スタッフ 10 名含む)
1.話情報供
○浦野(RSY):RSY ではウクライナ避難民の支援活動をしているが、ウクライナと同様の立場でアフガニスタンから日本に避難してきている人の支援もできるところから進めたい、洗剤や石鹸、タオルなどの生活支援物資を入れた応援パック「おたがいさまパック」を作成。当事者と関わりのある支援者に託して届けていただいた。アフガニスタンの方に対しては、支援がつながることが少ないようで、喜ばれたとの報告もいただいた。
○野川氏(名古屋市社協):ボラマッチなごや 2022 のブース出展団体・福祉施設の募集を 8 月末までしている。名古屋市と市社協が主催で、大学生や企業等と一緒に企画をして毎年実施しており、今年度は 12 月 3 日に愛知学院大学名城公園キャンパスで開催予定。ボランティアを募集している施設や団体がブースを構え、参加者が関心のあるブースに立ち寄って活動内容を聞き、実際にボランティア活動につなげていくマッチングイベント。出展に関心のある方は、名古屋市社協や名古屋市市民活動推進センター、ボラみみより情報局に問合せいただきたい。
2.話題提供
■テーマ『重度障害者が新型コロナウイルス陽性になったら』
(中野まこ氏:自立生活センター十彩 代表)
・オンライン画面では障がいが分かりにくいという弊害があるが、私は電動車いすに乗っている重度障害者である。今回は、今年 1 月に新型コロナウイルスにかかり入院した体験をお話しさせていただく。コロナ関連の報道は毎日あるが、その中で障害者に関する情報はなかなかない。私自身も陽性になってから名古屋市のホームページを確認したが、障害者で陽性になった場合の動きについてはあまり情報がなく、どこを見たらいいか分からなかった。行政の人にはその点についても考えていただきたい。
○自己紹介
・私は山口県岩国市出身で、大学進学で愛知に転居してきた。現在は、豊田市にある「自立生活センター十彩」という障がい当事者団体で活動をしている。インクルーシブ社会をめざし、障害者の自立支援や権利擁護活動、地域の学校に行って車いす体験を実施したり、行政や企業等での講師活動をしている。最近では、障害者差別解消法に関する合理的配慮の提供について企業も関心があるため、そういった話もしている。啓発活動としてイベント開催なども実施。障がいの有無に関わらず一緒に活動をしている。
・私には、筋ジストロフィーという障がいがあり、筋力低下や手を動かせる範囲が狭くて腕が上がらなかったり、重たい物が持てず、ぎりぎりスマホが持てるという状態である。呼吸障がいもあり、頑張って話しているみたいで、マラソン選手が走り終わったくらいハアハア頑張って呼吸をしている。そのため、寝ている時だけは人工呼吸器を使って生活いる。
・筋力が弱くて歩けなくても、電動車いすを使えば移動できる。可動域が狭くて買い物で棚の商品が取れなかったり、ペットボトルのキャップが開けれないといったことについては、ヘルパーなど介助者にサポートしてもらう。呼吸障害としては、人工呼吸器を使ったり、咳をする力も弱いため咳をするのを助けるカフアシストを使ったり、医療的な道具を使いながら生活している。このように人やモノ、制度や社会資源などのサポートを活用することで、私の「障害」はなくなる。機能障がいがあっても、皆さんと同じように遊びに行ったり、仕事をしたりという生活をしている。趣味はライブにいくことで、あいみょんのライブに行くなど、各地のライブに行っている。
○自立生活について
・私は一人暮らしをしており、様々なヘルパー制度の中の一つである重度訪問介護というサービスを利用している。福祉制度のサービスを利用するには、どれくらい支援の量が必要であるかを 1~6 の数字で表す障害支援区分が必要。数字が大きくなるほど介助の度合いが大きく重度である。重度訪問介護は、障害区分が 4~6 の人で、肢体不自由の人以外にも精神障がいや知的障によって行動障がいが強い人も使える。
・ヘルパー派遣というと、居宅介護の身体介護(入浴やトイレ介助、料理や掃除など)や、地域生活支援事業の移動支援などが有名であるが、これらは短時間のサービスである。重度訪問介護の場合は、長時間のサービスで切れ目がないものであり、身体介護や家事援助、移動支援などが全部一緒になっている感じである。契約時間内であればいつでもお風呂に入っていいし、移動してもいい。
・私の場合は 1 ヶ月に 613 時間分の支給時間があるため、1 日だいたい 21 時間はヘルパーがいる計算になる。ただし、仕事中はヘルパー制度が使えない。私は普段仕事をしているため、仕事が終わって家に帰ったタイミングにヘルパーと集合し、夜間は家に泊まってもらって朝仕事に出るまでの間にヘルパーにいてもらっている。仕事のある日は 13~14 時間程度、土日で仕事がない場合は殆ど一日、傍に介助者がいる生活である。私の場合、夜寝返りができず、呼吸器を使うなど医療的ケアが必要という
ことで、障害支援区分は 6 になっていると思う。夜に寝ている間でもヘルパーさんを呼んだら寝返りをしてくれたり、水分補給やトイレなどの介助をしてもらうことができる。名古屋市内にある 2 つのヘルパー派遣事業所を利用させてもらっている。
○コロナ感染の入院までの経緯
・これが原因かは不明であるが、1 月 12 日に右顎がすごく痛くなった。唾石症という顎の中に石ができる病気になったことが分かり、17 日に大学病院で手術をするための PCR 検査をした。翌 18 日に陰性と分かり、日帰り手術で石を除去した。次の日には頭痛や吐き気があったが、手術の疲れかと思っていた。22 日午後から喉が痛いという違和感があり、いつも風邪をひくときは喉からくるため風邪かと思ったが、普段の違和感となんか違うとも思った。オミクロン株は喉の痛みの症状がある人が多い。喉がガサガサしていることを不安に思い、かかりつけ医の訪問診療で PCR 検査もお願いし、唾液を採取してもらった。そして、23 日に主治医から残念ながら陽性だったと暗い声で連絡があった。
・症状としては、微熱と喉の痛みと咳で、時間が経つにつれて熱がぐんぐん上がっていった。主治医の先生から保健所に連絡をしてくれていたが、夕方にやっと保健所と連絡を取ることができた。私が普段どのように生活をしているか、ヘルパーに毎日来てもらっていていること、一人では寝返りや水を飲んだり、食事をすることができず、寝るときは呼吸器をつけていることなどを説明し、最優先で入院できるようにお願いしたが、一日目は難しいという返事であった。
・自宅での介助体制としては、日曜日で仕事がない日だったため、本当は 24 時間常にヘルパーがいる状態の日であった。陽性であると分かってすぐにヘルパー事務所に連絡し、どのようにヘルパーに入ってもらったらいいかと電話で相談したところ、15 分一緒にいたら濃厚接触と判断されるため、2 時間おきに 10 分だけ入ってもらうことになった。また、夜間はヘルパー対応できる人がおらず、派遣できないと言われてしまった。今まで一人暮らしをしていた 12 年間、泊りの介助がなくなることはなかったが、これが初めての派遣ストップとなった。濃厚接触者判定された介助者もたくさんでていたし、濃厚接触者になると公共交通が使えない、家族に高齢者がいるためリスクが高くて介助に入れな
いなど、様々な理由があって派遣がなくなったと思う。
・翌日の 24 日も入院できないと保健所から言われた。熱は 39℃台に上がり、喉も痛く咳もあるが、咳が弱くて痰がだせず、しんどかった。また、筋ジストロフィーの場合、肺炎で亡くなる人が多い。介助体制は変わらず、2 時間おきの 10 分、夜間は派遣できないという状況。3 日目の朝の保健所との健康観察電話で、「ヘルパーがいなくて生活できないため早く入院したい」と伝えたが、いい返事はなかった。この時には、解熱剤を飲んでも熱が高く、日中も呼吸器を使わないと息がしんどい状態で、何かを自分で考えることができないとも思った。私は、いつもであれば自分で考えて決定しているが、この時はよくわからなくなった。少し前に知り合いの車いすユーザーがコロナで入院していたが、その人は「救急車を呼ばないと入院できない」と話していた。血中酸素飽和度の数値はまだよく、数値上は軽症だったと思うが、病気の特性上いきなり下がることもあることが不安だった。そのため、私よりも重症者がいるかもしれないと、遠慮して救急車を呼ぶことを躊躇していたが、もう救急車を呼ぶしかないと思い 119 番をした。いつも検査の時などに行っていた主治医もいる大きな病院に搬送されて CT をとってもらい、私の状況を知ってくれいる人もいたため、そのまま入院できた。
・コロナで入院した場合、最初はゼビュディ点滴を打って、それで熱が下がれば隔離期間が終わらなくても皆さん退院になる。しかし、隔離期間が終わらずに退院するとヘルパーが入れないため、病院に状況を説明し、隔離期間が終わるまで入院させてもらった。
○入院するまで自宅でどう過ごしたか
・2 時間おきの 10 分間の介助で、介助者は防護服にフェイスシールド、マスク、手袋などを着用しての介助で、濃厚接触にならないようにできる限りの感染対策をしてもらっていた。買ってきてもらった食事は机の前においてもらい、トイレ介助や洗面介助などをしてもらった。体温計で熱を測ったり、酸素を計ったりなどのバイタルチェックもしてもらった。
・夜間派遣のストップとなり、一日目の夜は、ベッドに移乗して呼吸器セッティングまでで終了となった。しかし、ベッド上だとスマホを触ることしかできず、水分補給や痰も出すことができずに朝まで苦しくて不安で眠れなかった。二日目も入院できないと分かった時には、日中にヘルパーが車で待機してくれている時に寝ておいて、夜は怖いから車いすに乗って過ごすという昼夜逆転生活をすることに自分で決めた。
○コロナ禍での入院生活
・個室の陰圧室に入院し、トイレはあったが車いすが入れるサイズではなかった。「オムツでトイレをしてください」と言われたが、トイレが広くて介助者がいればトイレができ、普段オムツをはかないため悲しかったし、しんどかった。看護師から最初は「ベッドにいてください」と言われたが、ベッドにいると何もできず呼吸もしんどくなる。そのため、「車いすに移らせて欲しい」とお願いし、寝る時以外は車いすで過ごした。医療従事者の忙しさをニュースなどで見ていたこともあり、介助のお願いをしたくても、ナースコールはなかなか押すことができなかった。また、異性の看護師にオムツを替えてもらったり、着替えをしてもらうこともあった。看護師は仕事として患者としてみているから性別は関係ないという人もいる。しかし、やっぱり自分の大事なプライベートなところに体調もしんどい中で触れられることは、たった一週間の入院生活だったが、心もかなりしんどくなった。
・救急車に乗る時には入院すると思っていたため、自分の呼吸器やカフアシストも持って行った。しかし、入院後に「ウイルスをまき散らす可能性があるため使えない」と言われ驚いた。ウイルスを消せるフィルターが私の呼吸器とマッチせず、病院側が準備した全く知らない初めての呼吸器を使うことになった。自分の呼吸リズムにできる限り合わせてもらったが、呼吸器の設定はすごく難しい。通常であれば一週間入院して調整してから使うものであるが、たった数時間の調整で使うことになって驚いた。私の場合、呼吸器を使う際には、鼻にマスクをつけて呼吸をする。その鼻マスクは持参したものが使えたが、呼吸器は自分のものを使えず、あわなくて寝られなかった。
○重度障害者がコロナ陽性になって感じたこと
・普段から医療とのつながりを作っておくことが大事である。かかりつけ医があっため、すぐに PCR 検査ができ、自分のことを知っている病院に入院できた。
・コロナ禍では病院に介助者が入れず、自分のことは自分で伝える必要がある。体調の悪い時に全く知らない看護師に「ここを持ったら痛い」といったことを自分で伝えるのはしんどい。そのため、自分の障がいの状況や介助内容をまとめた資料を作っておくことが大事。
・保健所や病院とのやりとりを通して、ヘルパーに来てもらって一人暮らしをしている障害者がいることが知られていないと思った。そのため、当事者参画の研修を実施したり、自立生活を知ってもらうことの啓発活動ができるといい。日本は家族介護が当たり前という風潮があり、病院や保健所の人に「家族がどこにいるのか」と何回も聞かれ、「山口県で来れないです」と言うと驚かれた。私のように、第三者のサポートを受けて生活している障害者がいるということが、なかなか理解されていないと思う。
・介助が必要な障害者がコロナ陽性になった場合のことを行政は考えていないと思った。ヘルパー派遣がストップしたが、事業者によっては、もう派遣しないというところもある。それでは障害者が生活できなくなるため、行政からの指導も必要だと思う。安心して事業所も介助の仕事ができるように、加算をつけたり、必要物品や環境整備が求められている。
・あまり知られていないが、重度訪問介護を使っていて障害支援区分が 6 の人は、入院中も介助サービスが使え、普段のヘルパーに病院でも対応してもらえる。しかし、コロナ禍によって、病院は家族面会も NG としており、介助者も入れなくなっている。普段から介助に慣れている人が、体調が悪い入院中にも介助してくれると安心して入院生活が送れる。全く知らない看護師にイチから介助方法について伝えることは、体調も悪い中で本当にしんどかった。そのため、ちゃんと制度もあるため、コロナ禍でもサービスが使えるようになって欲しい。
・コロナを経験し、重度訪問介護というヘルパーさんが一対一で私の介助をしてくれる制度が改めて素晴らしいと思った。ヘルパー派遣がなくなることで、こんなにも生活ができなくなるということが分かった。毎日来てくれいているヘルパーは、15 人の人がシフトを組んで来てくれている。この制度があって本当に良かった。
・施設や病院に長期入院や入所している障害者など、コロナ禍以前から制限された生活を強いられている人たちはたくさんいる。地域で生活できるはずであるが、様々な理由でずっと入院している。コロナ禍前から自由な生活ができていない。今回、コロナになって入院するという経験を通して受けた制限によって、もっと前から制限を受けさせられている障害者がいると実感した。そうした人たちに思いをはせて活動していかないといけないと思った。
・今週 7 月 29 日、NHK の E テレで毎週金曜に放送されている「バリバラ(みんなのためのバリアフリー・バラエティー)」に出演する。異性介助を考えるテーマで話をさせてもらっているため、ぜひご覧ください。
3.ブレイクアウトルームでのディスカッションを終えての質問・感想など
〇浦野(RSY):福祉分野の人でも、障害支援区分 6 の方が入院中にヘルパーが使えることを初めて知ったという話もあり、広く周知することが大事であると思う。コロナ禍で支援者も大変な中、自分の思いを伝えることに非常に抵抗があったという話の中でも、異性介助については衝撃的であった。様々な制度がある一方で、水準が以前から変わっていない現実が続いていることがよくわかった。
〇野川氏(名古屋市社協):環境が整ってきていても、コロナ禍や災害があると一気に機能不全を起こす状況について課題に感じた。自分の状況を伝えられるように資料にまとめておくといいと話されたが、災害時に福祉避難所に行った時にも、自分の状況を伝えられるノートなどがあり、誰かに預けておくような仕組みを作っておく必要性についても話があった。
→佐藤氏(弥富防災ゼロの会):避難所に行く時に、医療などの個人情報を本当に持っていけるのか。お互い様でその部分をサポートする仕組みがあった方がいいのではという議論をしている。
〇種村(RSY):入院中に車いすでいられるようにお願いしたことなど、大変な中でも声を挙げたことで改善したこと、変わったことがあれば教えて欲しい。
→中野氏:普通であれば入院生活はベッドの上で過ごすものだと思う。そのため私もベッドに寝かせたままという感じであったが、そこだけはお願いして車いすにいさせてもらった。オムツの件は、皆さんオムツで排泄したことあるでしょうか。実際にやってみると、特に便の方がでない。「便がでた場合は処理が大変だからベッド上でして欲しい」とも言われたが、お腹の力が弱いのに寝かされたら更に難しく、4 日間くらいでなかった。毎食ヨーグルトもだされたがそれでも無理で、退院前日にやっとポータブルトイレを持ってきてくれた。しかし、トイレ介助には 2 人看護師が必要であるため、トイレに行きたいと言っても「今はごめん、オムツでしてください」と言われることもあった。便をだす時だけナースコールし、トイレへの移動をしてもらった。
〇小池氏(よだか総研):今日は初めて娘が最後まで話を聞いていた。そして、ヘルパーが仕事の時には来てくれないことに対し、「仕事はしない方がいいということ?」と娘が言った。「でも、仕事ができる人やしたい人もたくさんいるけど、仕事の時にはヘルパーは来てくれないんだよね」と伝えると、娘が「それって変だね」と話した。おかしなことはたくさんあり、コロナ自体に中野さんが困られたというより、社会の仕組みが実態に追い付いていないところに一番困られたと感じ、何とか変えていけるといいと思った。
→中野氏:ヘルパー中の経済活動は禁止となっている。障害者は働かなくていいという考えが根底にあり、制度設計もされている。姿勢を変えるのに介助が必要でヘルパーを使いたいが、それができないから仕事ができない人もいる、というようなよくわからない状態になっているため、そういった部分も考えていく必要があると思っている。
○浅野氏(よかネットあいち):「愛知県 障がいのある人の新型コロナ影響下での生活実態調査」報告集が完成し、一般配布している。様々な体験談を寄せていただき掲載しているため、読んで理解をしていただきたい。きちんと声にだして伝えていかないと改善していかない。今回は中野さんの切実な問題がたくさんでたが、それは今そこにある問題で、誰でもそういう状況になる可能性がある。それをしょうがないということで終わらせてはいけない。
■まとめ
○中野氏:障害者の地域生活の実態が知られておらず、話したいことがたくさんあった。今回は様々な立場の方に知っていただけて嬉しかった。私たちマイノリティは、社会が大きく動揺した時に一番弱いものになる。コロナ禍でも災害時でもそうだと思う。様々な分野の方と一緒に考えることが大事だと感じた。
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