第86回:ウィシュマさん事件から見えた日本の入管制度の問題点

会議レポート

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●日時:2022年6月28日(火)16時00分~17時00分
●場所:WEB 会議(Zoom)
●参加団体:23 団体(運営 11 団体含む)
●参加人数:27 名(運営スタッフ名 14 名含む)

■情報提供(2 件)
〇種村氏(おたがいさま会議事務局:レスキューストックヤード)
・豊田市の福祉施設の方がビーツを育てており、それをウクライナ避難者に届けたいと SNS で発信した。このことを、本日の司会の小池さん(よだか総合研究所)がレスキューストックヤードに知らせて下さり、スタッフが収穫に伺い、避難者の方々にお渡しできた。
・本日午後 5 時よりテレビ愛知の「5 時スタ」という情報番組の中で、この地域で暮らすウクライナ避難者についての特集があり、吉村なるみさん(レスキューストックヤード:ウクライナ避難者支援スタッフ)が Zoom で出演するので、時間のある方はご覧いただきたい。

〇小池氏(よだか総合研究所)
・この度本を出した。「息の詰まりそうな子どもと立ちすくむ大人のマガジン」というタイトルの本で、子どもの権利(特に参加する権利)について自分が活動している地域でリサーチし、書籍にまとめた ものだ。MPO おたがいさま会議でこの本を紹介するのは、コロナ禍が始まった早い段階で、愛知県の 「こども NPO」の山田さんにご登壇いただき、子どもの権利、特に参加する権利や意見表明する権利 がどうなっているのかという話を聞いたのがきっかけだったから。その話が心に残り、自分の周りで も広げたいと思い、自分が活動する地域(岐阜県の揖斐川や本巣)でも話をしていただいた。これを きっかけに、自分たちの地域の子どもの権利がどうなっているのかを市民のみんなで調査してまとめ たのがこの本である。NPO おたがいさま会議をきっかけにできた本なので、ぜひ読んでいただきたい。

1.話題提供

■テーマ:『ウィシュマさん事件から見えた日本の入管制度の問題点』
■スピーカー:眞野明美氏(シンガーソングライター、入管収容外国人支援者)

〇音楽活動から収容者支援へ(自己紹介)
・1953年、福岡県生まれで日本福祉大学を卒業した。若いころから歌を歌っていて、いつの間にかそれが自分の仕事になっていたという極めて珍しい音楽活動をしてきたと思っている。
・様々な場所でコンサートをさせてもらい、本巣でもコンサートを行ったことがあるので司会の小池さんが子どもの時に私の歌を聞いてくれたかもしれない。子どもたちが生の舞台を鑑賞するという「おやこ劇場」でもたくさん歌を歌わせていただいた。
・1992年、名古屋市の高校生、服部剛丈君の射殺事件に関わった。お母さんが身近な方だったことで、お母さんが書いたヨシ君の詩を私が作曲し、当時のアメリカ、クリントン大統領に対し一般家 庭から銃を撤去して欲しいという請願運動をした。その時にご両親と一緒に渡米し、アメリカ各地の高校や教会などを訪問し「YOSHI」という歌を歌った。
・あれから30年経つが銃の乱射が絶えることは無い。一刻も早く銃の撤廃が実現することを願わずにはいられない。
・2018年には、自宅を兼ねた多世代シェアハウスをオープンした。このシェアハウスに難民認定係争中の学生を受け入れたことで入管について知ることになった。彼が来ることで、日本にいてはとても想像ができないような彼のバックグラウンドを知ることができた。
・彼は仮放免(犯罪性が低い場合一時的に収容を解かれる)により外で暮らすことができたが、健康保険証も取得できないし、住民登録もできないので地域の福祉サービスを受けることができない。
・こういう状況でどうやって生きていけばいいのか、まさに追い詰めるための制度だと思う。
・ここを根本的に変えていかないといけないと思う。「仮放免」ではなく「在留資格」をきちんと与えて彼らが働き続けられたり、入管にも出頭しながら日本で安心して生きていくことができる制度に変えていかなければいけない。今の制度には大きな問題がある。

〇ウィシュマさんとの出会いから別れまで
・これは、ウィシュマさんからの手紙と彼女が書き送ってくれた、たくさんの絵です。最初、この手紙をご遺族に返そうと思っていたが、仲間がこれはぜひ本にすべきと励ましてくれて、本を作ろうと考えたが、思い出すのがつらくて一人で書き綴ることができなかった。そんな時に、フリージャーナリストの関口威人さんを紹介いただいた。関口さんは、ともすれば感情的になりがちな私の話 を根気よく客観的な視点も踏まえて聞き取とってくれた。関口さんがいて下さって、この本「ウィ シュマさんを知っていますか?」が完成した。
・2020年12月18日にウィシュマさんと初めて面会した。 名古屋に「START」という被収容者への面会を中心とした支援団体があり、この団体からウィシュマ さんの身元引受人になってもらえないか?あなたの家で一緒に暮らしてもらえないか?という申し 出があった。 (START;外国人労働者・難民と共に歩む会)
・私のシェアハウスには、すでに難民の方が住んでおり、他に使える部屋もあるので、先ずはウィシ ュマさんと会ってみようということになり、お会いした。
・本の中にも書いたが、面会室に入ってきたウィシュマさんはすでに衰弱していた。彼女は同居して いた同国人の男性から、激しいDVを受けており、妊娠した際もよくわからない薬を飲まされ堕胎さ せられている。こうした話を支援団体からすでに聞いていたので、DV被害者が何故こんなところに いるのかと大変驚いた。
・挨拶の前に、先ず目に入ったのは、絶望した様子の少女の姿だった。彼女はとても小さく見えた。 私は、その日のうちに一緒に暮らしませんか?と彼女に伝えた。
・彼女の身体をいたわり、一緒に暮らそうと伝えると、彼女は喜びを体中で現した。この時ウィシュ マさんと私の間に信頼関係が生まれたと思っている。
・2020年12月27日に彼女から「絵を描く文房具をありがとう」という内容の手紙が届いた。彼女と出 会う前にスリランカ人男性の仮放免に必要な保証金の一部を支援したことがあり、その男性からの お礼の手紙には見事な絵が画かれていた。スリランカの方には絵を書く遺伝子・才能があるのかと 思うほど素晴らしい絵だった。ウィシュマさんにも絵具を贈ったところ彼女から弾むような声でお礼の電話をいただいた。入管とのやり取りについていうと、本人が電話をする以外にコンタクトを 取ることはできない一方通行で、こちらから連絡をすることができず、彼女の安否についていつも 大変心配していた。
・2021年1月10日、年が明けたこの日、彼女は熱を出して個室に移された。そうした内容の手紙をもら ったり、体調が悪いということを支援団体の方から聞いて、私は、頻繁に面会に向かうようになった。
・2021年1月18日、私は12.5kg痩せていますとの知らせを受け、1月20日に面会した。その時は、何 とか話もできた。私に心配かけまいと明るく振舞っていたし、自分の思いをいっぱい伝えてくれ た。
・彼女が浴衣を着ているこの絵には「まだ、私は着物を着たことがないから、眞野さんと一緒に着物 を着てみたい。そして一緒に写真を撮りましょう。」という手紙が添えられていた。
・2021年2月2日、「わたしは、ぜんぜん大丈夫じゃない」という手紙が来たので、2月3日にあわてて面 会に行った。彼女は、車いすに座って青いバケツを持たされていた。彼女は時折その青いバケツに もどした。もうご飯を食べることもできないという訴えもあった。もどすので薬も服用できない様 子を当局に訴えると、「適切に対応している」という答えしか返ってこなかった。私は、親の介護の 経験や介護の現場でも働いたことがある。ウィシュマさんはどう見ても重篤な脱水症状になってお り、点滴も受けていないとのことだった。何故放置しているのか?という思いだった。
・2021年2月8日、これが最後の手紙になる。「私のことを考えてくれて、ありがとう」まるで、別れの あいさつのような私への感謝の言葉だった。
・この日のことを今思い出したが、彼女の手紙の冒頭は、私への謝罪だった。「ごめんなさい。眞野さ ん2月5日に面会にきてくれたの?会えなくてごめんなさい。眞野さんの顔が見れなくて本当にか悲 しい。女性の看守がいて、この人はいつも大きな声で怒鳴っている。この人が『ウィシュマ面 会!』って言ったから嘘だと思った。この人はよく嘘を言うので、私は横になっていた。」という内容だった。
・私は、ウィシュマさんの周りには彼女を気遣ってくれる人がいないんだということをこの時深く感 じた。その後、私たちは入管にウィシュマさんの状態を伝え、処遇の改善を訴えた。彼らは、最初から、オーバーステイの人たちは、嘘をつく人たちと思っており、体調不良の訴えも 嘘に決まっていて、絶対騙されないという対応だった。
・2021年3月6日・・・ウィシュマさんは亡くなった。
・メーテレは、ウィシュマさんが亡くなるまでのかなり食い込んだドキュメンタリーを作った。明け方の4時の放送だったのでみんなに伝え、みんな録画して改めて見てくれている。今、映っているの は3月6日のウィシュマさんの一周忌の映像だ。スリランカは収骨する習慣がないので、ウィシュマ さんの遺骨は、愛西市の明通寺というお寺に納められている。

〇ウィシュマさんの死の教訓は?
・収容されるということは、死と隣り合わせということだ。職員の人権感覚がないということではないし、きっと教育も受けている。命が大事だとわかっていても、この人たち(収容者)は、嘘をつ く人だと思っているので、ものすごく厳しい対応をする。
・最終報告でも「医療体制の不備」であるとか「入管職員の人権教育を徹底していく」というような ことが述べられていたが、そういうことではないと思う。救急車も呼べるし、点滴だってできるよ うな医務室もある。にも関わらず、ウィシュマさんは、一本の点滴も受けることなく、私たち支援 者がこのままだと死んでしまうと訴えても市民の声は全く届かず、死ぬまで詐病扱いされた。ここ に大きな問題がある。
・収容者は嘘をつく人たちで、絶対騙されないんだという厳しい対応が、ウィシュマさんの命を奪っ たんだと思う。

〇入管に収容されている外国人の事情は?
・収容されている外国人は、いろんな事情で、在留資格を失効している。「仕事を辞めさせられた」、 「会社が倒産した」「結婚した」など、いろんなシチュエーションで彼らは在留資格を失効している。失効したことでこんな死ぬような目にあってしまう。
・収容経験のある方々にどこの入管が一番ひどいかと聞くと、みんな「名古屋入管」と声をそろえた。言葉遣いが違う。威張っている。東京入管では面会の呼び出しでは名前に“さん”を付けるそ うだが、名古屋入管の場合、呼び捨てで「〇〇前へ!」というように言われる。相談しても無視さ れる。そういうことを彼らは訴えた。さらに名古屋入管はすごく寒かったそうだ。
・また、東京の入管は、外の花火が見えるほどオープンな感じだが名古屋入管はほとんど壁ばかり で、外を見ることができないようだ。本当に閉じ込められているという感じの生活になる。

〇収容された方たちへの収容体制はどうあるべきなのか?
・先ず多くの方に足を運んでいただきたい。少しハードルが高いが、先ず面会をして欲しい。ただし、面会をするには、国と名前を書かなければいけないので、思い立ってすぐに入管に行っても面 会はできない。名古屋にはSTARTという支援団体があるので、そことコンタクトをとれば、同行してもらえる。
・収容者は日本語を話せる方も少ない。私は英語がほとんどダメなので、最初は支援者の方に同行し てもらいウィシュマさんにお会いしたが、ウィシュマさんは日本語でのコミュニケーションが何と かできた。ただ元気がなかったので、はっきり話すことは難しかった。
・私のところのような民間のシェルターがあれば、近所の方たちがお米を運んでくれたり、野菜を分 けてくれたりという形で温かい支援を受けることもできる。でも、こういう民間のシェルターはほ とんどないと思う。愛知県下では、うちだけだと思う。だから、今後の支援は「私たちは入管のこ とを見ていますよ」というアピールがとても大事だと思う。閉じ込められていると、ここにいる私 のことは誰も知らないと本当に絶望的になってしまう。
・私が今、受け入れている人たちへの支援についても中々難しいが、例えばこんな支援があるといい と思っている。それは、うちの住人さんを他のファミリーでお茶に呼んでもらうとか、水族館に連 れて行ってあげるとか、一緒に散歩してもらうとか、他の支援者につなげていくそういう支援が必要だと思っている。
・私の隣近所の仲間が色々とうちの活動を支えてくれている。この方々にウィシュマさんが生きてい る時、面会で感じたことや入管の職員が全く治療をしようとしないことを伝えても、国がそんな非 道なことをするわけがないという頭があるので、仲間になかなか伝わらなかった。ウィシュマさん の死を通じて初めて伝わった。本当に想像を絶する被収容者への処遇だと私は思う。ウィシュマさんの死が入管の闇を照らしたと思っている。ウィシュマさん以前にも多くの人が入管で亡くなっているわけだが、世間でそうしたことが報じられることはなかった。
・でもウィシュマさんの死は違う。「ウィシュマ」という名前をみんなが口にしてくれる。そしてウィシュマさんの顔も映像も出た。ウィシュマさんという人を身近に受け止めてくれているのではないか。こんな被収容者は初めてではないかと思う。
・ウィシュマさんは母国にいるときは、日曜日にボランティアで英語と数学の先生をしていた。こんなに絵が上手に描ける先生なので子どもたちに大人気だったと思う。貧しい家庭の子どもたちに無 料で勉強を教えていたし、制服が買えない子には、制服もプレゼントしたそうだ。食料も支援し た。本当に誇り高いやさしい女性だったと思う。
・そんなウィシュマさんを私たちは無くしてしまった。もし、ウィシュマさんが仮放免で私のところ に来たら、地域の子どもらに無料塾をスタートしたところだったので、子どもたちに英語を教えて もらえたと思う。「スリランカ料理も習いたいね・・」と仲間たちもすごく楽しみにしていた。も し、彼女が元気に日本語学校を卒業していたら、日本とスリランカの掛け橋になることもできたは ずである。何故ウィシュマさんは死ななければならなかったのか?
・本当に寛容の無い国だと思った。私は4年前に初めて入管のことを知り、入管のことをよく知らなか ったことをウィシュマさんに対して申し訳ないと思っている。
・ウィシュマさんが生きていける社会は、私たちにとっても生きやすい社会だと思う。そういう社会 を実現するためにできることをしてきたい。

2.ブレークアウトルーム後の質疑等

〇鈴木氏(デンソー)
・言葉を詰まらせながら、つらい話をお伝えいただき感謝申し上げる。眞野さんが、受け止めた現実を我々もお聞きすることができ大変参考になった。
・ブレークアウトルームでは私を含む 4 人で話し合った。厳しい対応が命を奪ったというのはその通りだと思った。何故、ウィシュマさんが命を落とさなければいけなかったのか?ということと、何故、 同じ国の入管なのに名古屋入管では他と違って、国のマニュアル等があるはずなのに人権を脅かす対 応をやっていたのか?愛知に住んでいる人間としては悲しいという話がでた。
・二人目のウィシュマさんを出さないことが、これから大事なことなので、眞野さんのような市民団体 や我々が目を光らせないといけない。大変悲しい現実である。
・質問だが、眞野さんが早い段階でウィシュマさんを受け入れることを表明したにもかかわらず、なか なか仮放免がかなわなかった。どういった手順を踏めばウィシュマさんを仮放免できたのか?そのことについて教えていただきたい。

→眞野氏
・何故不許可にしたかについては、8 月 10 日にでた最終報告の中で、「帰国意思を持たせるため」、「自分の立場を解らせるために不許可にした。」と記載されている。
・入管は誰が支援者、保証人として受け入れるかを重視する。最終報告の中にも、これまで多くの保証人が仮放免の外国人を失踪させてしまっており(約半数が失踪)、今回も保証人としてふさわしくないとの内容が書かれている。
・これは、後出しジャンケンだと思う。私たちは、仮放免の申請書を出したが、その時点で保証人の資格がないとは言われていない。なのに、私(眞野氏)は年金生活者だから経済的、資金的に問題があり、支援は無理だと報告書には書かれていた。
・支援者が、私たちではなく他の人なら仮放免の申請が通ったのだろうか?審査の基準も明らかではなく、彼らが勝手に決めているとしか思えなかった。また、体調があんなに悪くなっているのに仮放免 しなかった。病気を理由に仮放免できないのなら何故入院させてくれないのかと訴えたのに、報告書 では、私が年金生活のため許可できなかったと、ねじ曲げた内容になっていた。
・確かに私のところは、資金的には厳しいが、皆さんの支援をいただきながら、なんとか運営できてい る。もし、年金生活者だから駄目だというなら一番最初めに(申請時に)資格がないと言われるはず だ。私も、支援者も未だに不許可の理由が解らない。
・あのようにじわじわと殺されていくことは、本当に拷問だったと思う。

〇瀧川氏(市民がつくる災害に強いまちづくりの集い)
・名古屋入管は昔からひどいと有名だ。それでも当時、国会議員が支援者と一緒に行くと手荒な真似はされなかった。面会もできた。今回のウィシュマさんのケースで国会議員の協力を得るということはなかったのか?

→眞野氏
・ウィシュマさんの生前には、国会議員や弁護士には相談していなかった。こうしたことに経験が薄い し、今回のように処遇改善を訴えに行くことも初めての経験だった。

〇瀧川氏(市民がつくる災害に強いまちづくりの集い)
・決して眞野さんのせいではないが、人権感覚に優れた弁護士は名古屋にもたくさんいるので、そういう力を借りて助けることはできたかもしれない。ウィシュマさんの死は、私も大変悔しい思い。
・裁判については、どんな弁護士がやっているのか?

→眞野氏
・総勢 18 名から 20 名の弁護士さんがいる。若い弁護士が増えている。

〇小池氏(よだか総研)
・例えば東京などでは難民の支援をしている弁護士が立ち上げた NPO があると思うが、地方になると、特殊な分野に尖った NPO はどんどん少なくなる。こうしたことは、難民だけでなくいろんな分野であ ると思っている。適切なリソースにつなげられないということは、どの分野でもあることだ。特に地 方では、最初からベストな支援にたどり着くのは難しいと思う。

〇眞野氏
・実はうれしい話もある。名古屋市立大学の看護学部と中京大学の国際関係学部の先生から次のような協力要請をいただいた。
・名古屋市立大看護学部では、地域で暮らす外国の人たちは、言葉の壁もあり、医療につながることが大変難しいとの認識のもと、コミュニケーションの課題をどうしたらよいのかという観点で、2025 年 から正式なカリキュラムがスタートする。その準備のため、地域で暮らす外国の方に健康調査のよう なことをしたいので協力してもらえないかという要請である。
・この地域にはウガンダのコミュニティーがある。また、ウィシュマさんが亡くなったことでわかった ことだが、海津市にスリランカの寺院があり、遠方からもスリランカ人が集ってくる。先日は、ベト ナムの寺院が稲沢市にあることも知り、つながることが出た。お寺でのイベントや、その他スポーツ イベント等みなさんが集まるところに学生が赴き、そこで健康調査のようなことを行う形で協力要請 に応えようと考えている。
・中京大学では、ウクライナ避難民には積極的な支援があるのに、一方で仮放免のまま日本で苦しんいる人たちがいることについて、問題意識をもっている。当事者の方々から話を聞くチャンスが欲しい ということでコンタクトがあった。地域でくらす外国人の中には、仮放免の外国人も多くいるのでこ の地域の大学、学生にも入管をウォッチしてもらうきっかけになると思う。入管は変わっていないが、 世の中は変化してきていると実感している。
・「劇団名古屋」さんからは、ウィシュマさんのことを舞台化したいので協力して欲しいという要請が あった。7 月から脚本づくりが始まるそうで、出来上がれば、高校の演劇部などでも上演してもらえ るのではと期待している。いろんな角度から入管を見ているんだということをアピールしていけたら 変化のきっかけをつくれると思う。
・最後に「ワタシタチハ ニンゲンダ!」という映画を紹介したい。ご存じの方もいるかもしれないが、 7 月 1 日まで、名駅シネマスコーレで上映している。監督の高さんは、私にもインタビューされて、 私もこの映画に出ている。この映画には、ウィシュマさんのことも取り上げられており、入管で何故 こんなことが起こっているのかが、在日朝鮮人の方が受けた歴史とともに一挙にわかるような作品に なっている。2 時間近くの作品で、大変良い作品だが観客が 1 桁しか入らない日がほとんどと聞いて いる。皆様も周りの声を掛けていただきたい。

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